「指導の果て」

先日、書いたように指導とは「自分次第」だと思います。これは指導に限らず人間関係にも言える事です。
だけど、この「自分次第」が難しい。
僕の目指す目標や意識の高さについてこれずに辞めてしまった選手も今までいました。
例えば僕が大学の教授だとします。あくまで例えばです。(笑)ここに小学生が学びに来ました。その小学生に大学の勉強を教えても分かるはずがありません。
小学生には小学生の課題を。中学生には中学生の課題、高校生には高校生の課題、大学生には大学の課題を指導するのが当たり前です。
だけど、ついつい自分の意識や価値観で指導したり、話したりしてしまいます。あの大学教授のように・・
ここで重要な事はその意識や価値観を捨てるのではなく、選手の心の本質を見きわめて、その子にあった話しや指導をする事ではないかと思っています。
難し過ぎれば苦痛になるだろうし、簡単過ぎれば物足りないでしょう。
その子に適した課題「今できる事」を提示し、指導していく事が僕にとって、その子の為に「今できる事」ではないかと思うようになったのはつい最近です。(^_^;)
以前の僕は自分の意識の高さや目標を選手達にも「少年よ大志を抱け!」と同じように与えていました。
最近、徐々にではありますが選手個人個人に合わせた目標設定を促し、認めるようにしています。
無理を言えば自分も相手も苦しい。「今できる事」なら自分も選手も頑張れる。
自信がついてくれば今より少し高い「今できる事」を与えればいいんだと思います。
ここまで来るのに長い時間が掛かりました。この成長がジュニアや会員の指導にも大きく役立つはずです。
僕の「指導の果て」はまだまだ見えません。今が最高。と満足してしまえばそこが「指導の果て」となります。
「思い癖」を捨て柔軟な発想ができるように努めていきます。   マサ