人は変わらない。

高橋イズム

指導というモノを考えたとき「人は変わらない」と言ってしまえば身も蓋もない感じがします。
しかし実際には変わらないというより、変わるにはまだ早いと言えるのかもしれません。
ハワイに行き、多国籍の人々に自分の常識が通じない事は当たり前だと思った。「島耕作」を読み、その考えが間違いではない事を確認する。同じ日本人にでもその考えは当てはまるのだと思います。
ここ一ヶ月の間に起きていた指導に関する問題や疑問、それらを解決する為に必要なピースはどんどん集まってきている。
同じ日本人であるし、門司フィットネスボクシングジムに入っている青少年、選手らとは何らかの縁があるのだと思っています。
だから簡単に「人は変わらない」という事で割り切って諦めてしまう事はできません。
今は分からなくても沢山のピースが集まったときに、いつか分かる時が来るのだと思います。それが数ヶ月なのか?数年なのか?数十年なのか?は分かりません。ただそのスピードには個人差があるのだという事です。
青少年や選手らに僕ができる指導とは、その小さなピースや言葉の種を植えていく事なのかもしれません。
その子の成長の速度を把握して焦らずじっくり待つのも一つの指導法なのだと思います。
人は向上する為に生まれてきたのだと思っています。だから向上しない人はこの世にいないと思います。ただ速度が違うだけ。
親の教育、育ってきた環境、学校での教育、本人の持って生まれた資質など様々な要因があります。
本人が気づいて変わろうとしない限り人を変える事はできません。「指導とは」その為のきっかけにすぎないのかもしれません。
住吉、直人、白石は自ら変わろうとしています。だから僕は彼らを僕の選手として認めています。
人間関係においては「人は変わらない」と前提します。「人を変えようとする事」に長い苦労をするのなら自分を、自分の考え方を変えてみようと思います。その方がきっと能率がいい。
以前から知っている考え方ですが、机上の空論ではなく本当に自分の考えになるまでには多くの時間と経験が必要であったのだと気づかされます。
僕が生きている限り、まだまだ考えは変わっていくでしょう。それが向上というモノですから。         マサ

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