自主性とは。

スパーリングというモノはキツいし、怖いモノです。それでもボクサーとして強くなりたいと思うなら、この練習は絶対に欠かせません。
僕の現役時代はスパーリングをしなければ練習した気がしない程、スパーリングを重視していました。スパーリングをしなければ強くはならないと言っても過言ではありません。
ビデオでの研究やトレーナーからの指示で得た技術をイメージしながらシャドーボクシングで作りあげ、マスボクシングやスパーリングで試していきました。
距離感やタイミング、気迫や当て方、ポジショニングや駆け引きなど、実際に相手と対峙してみなければ分からないモノが多くあります。
若い子や選手を目指す青少年にはこちらからスパーリングをするように指示を出していましたが、もうそれはやめました。
ジムには「スパーリングの希望があればスタッフまで」の張り紙をしました。
「人は馬を水辺まで連れていくことは出来ても、馬に水を飲ますことはできない」というフランスの有名なことわざがあります。
人と馬を一緒にはできませんが、欲しがらない者、求めない者に何かを与える事は非常に難しいという事です。
強くなるのも、試合に勝つのも、向上するのも結局は「自分次第」です。その気がない者に無理強いする事をやめた訳です。
差別というと語弊があるかもしれませんが、これからは選手らをどんどん差別していこうと思います。求める者には求めるだけを・・求めない者には最低限を・・という具合に。
そうする事で、自主性を持たせる事ができるのではないかと思っています。
「選手」とは選ばれた者と書きます。選ばれるだけの情熱と練習をしている者を放っておく事はできません。
いくら才能があっても、情熱が乏しく努力を怠る者に成功はありえません。
求める者には「人の為に」という思いや行動をとる事が本当の成功や幸せを掴む為に必要不可欠な事だという事も指導していきます。
数日前に自ら変わろうとしない限り「人は変わらない」と書きました。
彼らが自主的に動きだすのを待つのはとても辛い。耐えられずに手や口を出してしまえば自主性は育たないし、結果も付いてこないでしょう。 
気づく事のないままジムを辞めてしまう者もいますが、それも仕方のない事なのかもしれません。彼らにとって門司フィットネスボクシングジムとは人間として向上する為の一つの通過点であったのだと思います。
人が自ら変わろうとする心のレベルに達するには多くの時間と経験が必要であり、個人差があるようです。
馬に水を飲ませる為には長い時間水を与えない事です。喉が渇けば自ら飲みだします。
僕が指導するのは人間です。そんな単純な答えではありません。いかに向上欲や自主性を引き出す事ができるのかは日々勉強し、苦悩しながら思考錯誤していく他ありません。              マサ