分相応。

高橋イズム

ここ数日、「分相応」という事を考える事が幾つか重なった。
一つは車の買い替え。仕事や生活、選手らの指導に際して必要な車であり、「分相応」な車を求める。
無理して良い車に乗るつもりはない。車は僕にとってパートナーみたいなモノだ。
自分と近い人格の相手でなければパートナーとしてもうまく成り立ちはしない。車だって今の僕に合ったレベルの車がいい。
以前に購入した腕時計も「分相応だろうか?」と悩みに悩んだ末に購入した。(^_^;) 先週の休みに久しぶりに私服を買った。これも何度も「分相応」を考えながら・・
人が持つ目標だって「分相応」が好ましいと思う。自分の器以上の目標を持つと心が折れてしまい挫折感を感じる事になるだろう。
車だって時計だって目標だって、自分の器量が少し大きくなれば、その都度変えていけばいい。またそれが楽しいと僕は思っている。
人の器って後天的に大きくしていく事が大切だと思うのだけど、持って生まれてくる部分は大きいと感じる。
ボクシングを見ていても人それぞれの資質や才能、成長の進度は明らかに違う。
だけどそれを人と比べる必要はないのだと思う。自分の器をどれだけ広げる事ができるのかに思いを向けて、今の自分の「今できる事」に精進していく。人生もボクシングも自分との戦いだ。
「分相応」の「分」は自分の「分」。自分の今の「器」を知り、それに見合った目標や願いを持っていく事が大切なのだと思う。
僕はボクシングの指導者として、選手らが持つ資質(才能)や器をいち早く把握し、「分相応」な目標を示す事も大切な役目であると思っている。
これまで幾度かは見誤って才能ある者を挫折させてしてしまった事もある。「後悔先に立たず」。僕も何度も失敗しながら器を広げていく。  マサ

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