ライバル。

今日も競輪場のバンクと陸上トラックで強化走り込み。今日は中のグラウンドでサッカーの試合をやっていた。

左の黒いのが住直。サッカーを観ていて懐かしい思いがよぎる・・
僕は小学5年、6年の2年間と中学2年の終わりから助っ人で、3年の引退までの1年間をサッカー部に所属した。
サッカー部には小学生のときからの弛まぬ努力で一番を勝ち取っていたIがいた。
根っから負けず嫌いの僕は、このIに追いつき追い越す事を目標に決めた。Iは小学校から4年間サッカーを続けている。僕には2年間のブランクがある。
普通にやっていてはIを追い抜く事はできない。僕は「ドリブル突破」という一つのテクニックを誰にも負けないぐらいに極める事を目標に定めた。
授業中にはサッカーノートを付け、10分休みの度に廊下サッカー、昼休みも汗だくになってサッカー、部活が終わって、晩飯食べてから、また自主練習。四六時中サッカーの事を考えた。それが楽しかった。
Iとの力の差が縮まり出すとIも抜け駆けして練習をするようになった。休みの日の前に「明日練習する?」「いいや、明日はせんよ」と言い合ってグラウンドで気まずい再会をする事が何度もあった。(笑)
最後の大会で、ずっと競っていたIと僕の年間得点(ゴール数)は全く同じとなった。
ライバル心は非常に強く向上を促進させる。Iがいなければ、ここまでやらなかっただろうし、Iも僕がいなければ、ここまでやってはいなかっただろう。
ときに、その思いは「憎しみ」や「嫉妬」として燃え上がる事もあった。互いに自己顕示欲が膨れ上がり、サッカーや別の事でもよく喧嘩をした。意地悪をし合う事もあったし、相手をコキ下ろす事もした。ここが未熟な二人だったなと今となれば思う。
二十歳を過ぎてからIと再会し、よく遊ぶようになった。IはJリーグを目指したが夢半ばに諦め、教職に就き、現在は高校でサッカーを指導している。
「高校からはライバルがおらんかった。高はっちゃんがおれば、もっと上手くなったやろうね」と残念そうにIは言っていた。
ボクシングでも僕には何人かのライバルがいた。互いに「こいつには負けたくない」という思いから、いつも仲良くはできない。
だけど、時が経ち、今思う事は「感謝」でしかない。彼らがいたからこそ、「悔しい」という思いを知り、「努力する大切さ」を学んだ。
「宿命」とは家族や国籍、持って生まれた体や才能などの変えられぬ事をいうらしいのだけど、ライバルは「宿敵」とも言える。それは、きっと神様が向上を強く促す為に与えてくれた課題。
今現在、君にライバル(宿敵)はいるだろうか?もし、いるなら「嫉妬」や「憎しみ」を持つ事は必要ないと思う。「悔しさ」を感じたらライバルがいる事に「感謝」の思いを持ち、今以上に頑張り、努力し、大きく向上すればいい。
その為にライバル(宿敵)は存在しているのだから。     マサ