幸せの定義。

「人は何の為に生まれ生きていくのか?」と問われれば「幸せになる為」と多くの人が答えるだろう。もちろん、その気持ちは僕にもある。
それでは、人はどんなときに大きな喜びや幸福感、達成感といった「幸せ」を感じる事ができるのだろう。
お金をたくさん稼いだ。家を買った。いい車に乗っている。仕事で出世する。など・・ と答える人も多いのではないかと思う。
だけど、人は必ず死ぬ。そのときに自分の人生を振り返ってどう思うか。そして、そのときどれだけの人が涙を流し別れを惜しんでくれるのか。そんな思いで今の自分や今の生き方を考えてみる事が必要なのだと思う。
僕が思う「幸せの定義」とは、やはり「人の為に」という「愛」と「自分次第」という「向上」。この二つに尽きる。
だから、お金も出世も仕事の成功も、これらが動機として備わっていれば、大きな幸福感や達成感を感じる事ができるのだと思う。
逆にお金があろうと、仕事ができようと、物質的に恵まれていようと、人を愛せず、愛されず。人を信頼できず、信頼されない「自分本位」な喜びは本当の幸せには遠く及ばない。
僕は若い頃、多くの失敗や過ちを犯してきた。能力も情熱にも人には負けない自信があった。だけど人の事は考えずに自分が一番だと「自分本位」な考えで勝利やチャンピンを目指した。結果、大きな事故によって、また指導者となる事によって早くにその間違いに気づかせてもらえた。
世の中には、そんな間違いにずっと気づけずに、さみしい考え方のままで生涯を終える人もいるだろう。
僕はこの一生がすべてだとは思ってはいない。「良き因果」も、「悪き因果」も必ず返ってくる。だから人にばれなければ何をしてもいいという事は絶対にないし、あってはいけないと思う。
課題は乗り越えない限り幾度でも与えられる事を僕は知っている。もし、その課題から逃げ続けても、誤魔化し続けても次(来世)に持ち越すだけ。そんな「因果の法則」を通じて日々起こる、あらゆる出来事から有難く学んでいる。
良きおこないや思いからは良き出来事が。悪きおこないや思いからは悪き出来事が起こり、「気づけ!」とその答えを示してくれている。
その目に見えない力に気づく事が「本当の幸せとは?」という根本的な質問の正しき答えが見えてくる始まりのようにも感じている。
未熟な「自分本位」な思いや行動をどれだけ減らし、「人の為に」とジムの選手や会員、家族や友人知人の本当の成功や幸せを願った行動がとれるように日々、自分自身の心を正しておくように気をつけている。
その中でこそ、自身の大きな「向上」がある事も、「幸福感」や「達成感」といった強いやりがいを得られる事も36年間の人生とボクシングを通じて学んできた事だ。            マサ