啓助、決勝戦試合内容。

門司フィットネス試合速報

第四試合では東福岡の九州チャンプ(富吉)を相手に豊国学園3年生の寺中が気迫のこもった試合で会場を沸かせ、胸を熱くさせた。

さあ!いよいよ啓助の決勝戦。いつも気合いは入っている。昨日と同じように「今できる事」に集中だ。

リングに上がった表情は悪くない。相手は純真高校の3年生。きっと死に物狂いで勝ちにくるだろう。「相手に飲まれず、自分のボクシングを通せ!」と願う。

勝負は1ラウンド。ペースさえ握れば、問題なく勝てる。しかし、1ラウンドが終わり、ペースは奪えずコーナーに戻った。相手選手の昨日(準決勝)以上の気迫と「どうしても勝ちたい!」という強い思いが啓助の動きを堅くしていた。
2ラウンドも同じような展開になり、有効打が互いにうまく奪えない。ペースを変えるべく声を飛ばすが、あまり耳には入っていないようだった。
「勝ちたい!」という強い思いが力みを生み、空回らせていく典型的なパターンが見えた。それでも最終ラウンドはもう行くしかない。「啓助!行けっ!!」と声を掛ける。
強いパンチやボディが数発入り、ポイントを奪ったように思ったが、手数の相手と有効打の啓助。勝敗はジャッジの見方次第だと思った。

なかなか判定が出ない。5対5の同点の為に4人のジャッジとレフリーによる「勝敗決め」がおこなわれていたそうだ。納得のいかない試合内容に天を仰ぐ啓助。
そして数分後に相手選手の手が上がった。インターハイへの出場を逃し、とても残念な結果となった訳だが、それだけに「負け」から学ぶ事は「勝ち」から学ぶ事より大きな場合が多い。
試合が終わり、呆然と試合会場から消えていた啓助。喬之の試合が終わり、啓助を探すが控え室にもいない。階段の踊り場でキャプテン喬之が啓助を諭している姿があった。
アップ時に時間が無く、座禅をしなかった事。最後に「自分との勝負やぞ」と声を掛けられなかった事。日頃から自主性に任せ過ぎた事。と、僕にも幾つかの悔いが残る。
そんな話しもしながら、今回の「負け」の意味を話す。まだ冷静になれずに号泣もするが、自分の中で、やるだけやったからこその悔しさであり、冷静になる為の感情の爆発でもある。
人が悔しさで号泣できる事が人生でどれだけあるだろうか。啓助にとって、人としてこんなに価値ある経験を積ませてもらえている事に感謝の思いさえ沸く。
啓助は1年前、初の県予選で準優勝し、九州大会Bパートで優勝。その年の新人戦で県優勝し、1年生で九州大会をも制した。
まだボクシングを始めて1年半ほど。住吉も隆も章裕も靖也も喬之も本番で思うように「自分の力」が出せずに苦しみ続けた時期だ。
どんなに身体能力に恵まれていても、どんなに勝負強く「こいつには何か憑いてる」と思っても、やはり、「心」の面で言えば、まだ2年生になったばかり。
ボクシングは多く教えられても「心の向上」に近道はない。何度も失敗し、負け、痛い目に遭いながら人は成長していくしかない。だから、それなりの時間と経験回数が必要だ。
いい事ばかりを望んでも本当の「向上」や「成功」はないだろう。啓助の身体能力の高さと勝負強さに周りも勘違いしてしまうが、ボクシングで強くなる為や成功する為に人生があるのではなく、ボクシング(勝利を目指す事)を通じて人として成長していく事が人生における「ボクシング」の本当の意味である事を忘れてはいけないと思う。
いきなり多くの勝利を味わってしまうという啓助に与えられた少し人と違った課題。その中でも、やはり、皆と同じように「自分の力(心)」をコントロールできる自制心が問われているのだと思う。
「人の為に」「今できる事」「自分次第」。今も、これからもずっと問われ続ける。
僕も、多くの先輩達も通ってきた「道」だ。焦りすぎているようにも感じていた啓助のボクシング人生。そこに今からの啓助の「ボクシング道」が見えたような気がした。      
まだ2年生になったばかり。やはり高校ボクシングでの集大成となる「本当の勝負」は3年生になってからなのかもしれない。焦らず気負わず、大きな向上や明るい未来を信じて頑張っていこう。  会長

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