怪我や病気。

「感謝や人の為にという思いをちゃんと持っとるか?」と今日、ジムに練習にやって来た豊国組に聞いてみた。
ボクシングというスポーツは結果主義に陥りやすい一面を強く持つように思う。相手に勝つ事に意識が向き過ぎて「人としての向上」という一番大切な部分を忘れ易い。
ボクシングがうまくなる。強くなる。チャンピンになる。僕も選手時代には、そう単純に考えてやってきた。だから「人の為に」なんて思いも「感謝」や「人としての向上」なんて思いもなかった。
体の故障や二度とリングに立てない怪我も負い、それが間違いを気づかせる為のモノであった事に気づいたのが、26歳からジムを始めて数年が過ぎてからだった。
ボクシングを通じて「人として向上する」もしくは「人の為に」が今の僕が考える「ボクシング道」だ。
「人として向上する」の中にも「人の為に」という考えが含まれる。「人の為に」の対義語は「自分本位(身勝手)」ではないかと思う。
「自分本位」な考え方は「感謝」や「優しさ」や「愛」といった思いを欠落させる。だから怪我や病気になれば、親の無償の愛や周りの人の優しさに気づき、感謝を覚えるチャンスが生まれる。
そこでも気づけなかったら何度も何度もそれを繰り返す。だから怪我や病気や失敗の多い子は気づくまで何度も何度も繰り返す。以前の僕のように・・
また、こうも考える。病気や怪我は「考え方」もしくは「思い癖」の因果であるのではないかと。
ストレスで胃に穴が開いたり、湿疹が出たり、ノイローゼになったりと心が体にシグナルを送る。怒れば血圧が上がり、ネガティブな感情を長く持てば、体が酸性となり、様々な病気や怪我を引き起こすという。
これらを「ただの病気」と捉えれば何も変わらないだろう。それはボクシングでの負けや失敗の意味を考えないのと同じ事で、考えて改善しなければ何度も負け続ける事になる。
「怪我」や「病気」にもきっと意味がある。そんな風に考え、「怪我や病気」の意味を読み解き、心の改善をしていく事が大切なのだと思う。
「怪我」や「病気」や「苦難」は苦しく辛いモノではあるが、何かに気づかせてくれる為の有難い学びなのだと「感謝」の思いを持つ事で、その苦しさや辛さも半減しているように僕は感じている。   マサ