陰の努力。

高橋イズム

陸上、ソフトボール、サッカー、ボクシング・・と僕が「陰の努力」をしなかった事は一度もない。
サッカーの話で言えば、僕は中2の終わりに助っ人という事でサッカー部に入部した。そこには中1の始めから努力を続けてきた友人Pが誰もが認める一番の選手として存在していた。
僕は彼を追い抜く事に目標を定めたが、すべてをやっていては彼を超える事はできない。
そこで僕の一番興味のある「ドリブル」に特化する事にし、マラドーナのワールドカップ5人抜きのようなプレイを目指した。
授業中はサッカーノートを書き、10分休みは廊下サッカーで試す。昼休みは飯を早く食べてグラウンドでサッカー。部活を終えて、自宅に帰って飯を食べてから近くのグラウンドで毎日1時間の自主練習。休みの日でもサッカーサッカーとサッカー漬けの生活を送った。
部活では皆と同じように練習をするが、自主練習では自分で考えて「ドリブル」の極意(法則)を追求し続けた。
僕は自主練習こそが、ある意味「本当の練習」だと感じていた。
この頃から僕は「ディピングポイント」(急激な向上時期)というモノがある事も自覚していた。
相手を抜き去る「ドリブル」を追求した中で僕が一年間で辿り着いた境地はフィジカルの強いマラドーナのようなプレイではなく、「カウンター」だった。むやみなフェイントは逆に隙を作り、スピードを落とす。故に相手をおびき出してカウンター的タイミングでかわすという技を追求した。
区内大会や九州大会では、2人抜き、3人抜き、ときにはキーパーまで抜いてゴールを決めた。
ライバルのPとの最後の引退試合までのゴール数は同点。アシスト数では僕が大きくリードして非常に充実した一年間のサッカー生活を終えた。
しかし、まだここに「チームの為に」、「人の為に」という思いはなかった・・
だけど、サッカーから学んだ「法則の見つけ方」や「相手の気配を読む事」などは、大きくボクシングに生きている。
これらはすべて「陰の努力」の中で見つけ、身につけたモノだった。うまくなりたいという強い思いが自主的な行動や考えを生み、それが楽しさに繋がり、それなりの成果や充実感といった人としての財産を手に入れたように思う。
人と同じ事をしていては上は目指せない。皆との練習はきちんとやった上での自主的な「陰の努力」が「オリジナリティ」や「楽しさ」や「違い」を作るのだと思う。
僕は人に言われずに「陰の努力」を子供の頃から自主的にやってきたが、まだその「楽しさ」に気づいていない子らも多いだろう。
だけど「陰の努力」を強制はできない。強制すれば、そこに「楽しさ」がなくなる。
選手らや子供達の自主的な行動の大切さや楽しさを、どうやって教える事ができるのかが指導者や親にとっての大きな課題だとも言える。
次の「心の勉強」のテーマは「陰の努力」に決まり!(笑)       マサ

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