吃音(どもり)を克服。

一人の会員さんから「ご相談があるんですけど」と話し掛けられた。
「高橋イズム」を観て僕に吃音という課題がある事を知り、それをどう克服したのかを聞きたいと言われた。
その会員さんにも吃音があり、普通に話している分にはそうでもないけれど、会社などでの発表の場では非常に緊張し、いつも辛い思いをしている。そういった人達の集会にも行ったけれど、「吃音は治らないから、うまく付き合っていくしかない」という結論になったのだと話してくれた。
その気持ちや孤独感は僕にも痛いほどによく分かる。以前の僕も「うまく付き合っていくしかない」と思っていたから。
僕もまだまだ吃音という課題を克服した訳ではないが、今の僕にはある信念がある。
それは「吃音」というハンデ(課題)の意味を解き明かし、逃げず誤魔化さずに心身共に自分自身を改善(向上)していくという事。
吃音に限らず、極度の緊張しいや赤面症など同じような課題を持った人も多いと思う。
僕が考える、それらの人の共通点は①「自意識過剰」である。②自分と人とはまったく違うモノだと強く捉えている。③ある意味「潔癖症」、「完璧主義者」という一面がある。
吃音者には頭脳明晰で感受性の強い人が多いとも聞く。それは①③の影響ではないかと思える。
それらの「心」を改善しながら「自分本位」な考えを極力なくし、「人の為に」という思いを持つ事が強い不安や極度の緊張を和らげるように思う。それは人として与えられた「課題」だという事をボクシングや多くの経験を通じて感じてきた。
そして、もう一つの学ぶべき事は「努力」。
現在テレビキャスターを務める、ある方は幼少の頃から酷い吃音に悩まされ、「ドモ昭」と呼ばれていたという。
彼は自身の課題を克服すべく、一番苦手であろう職種「アナウンサー」を目指し、血の滲むような猛特訓を積んだという。
その人は現在、早口で軽快なおしゃべりでお馴染みの「小倉智昭さん」だ。
この話しから何を思うだろう。僕はすぐに思った。「努力は嘘をつかないのだ」と。
ボクシングでも緊張して力が出せない選手がいる。そのとき僕が指摘するのは、まず「心」。親から自立できていない子ほど強い緊張を見せる場合が多い。そして自分勝手な子も本番に弱いモノだ。
そしてもう一つは「練習不足」。体に染み付いた動きは強い緊張があっても、体が覚えているので何とか動くモノだ。場数を踏む事も練習だと思えば、「経験が足らない」とも言えるだろう。
僕の場合からも考えられるのは、吃音者には口や舌、横隔膜の動きに多少の未発達な部分があるという事。
だから小倉智昭さんがやったような「訓練」(努力)をする事が徐々にではあるが、体を変えていき、その体の変化が不安や緊張を取り除くように思う。
「元気があれば何でもできる!」とアントニオ猪木さんが言う。
体が変われば、きっと不安感や緊張もどんどん和らぐはずだ。声が出ない場合、横隔膜や喉周辺の筋肉が緊張して胸が詰まったような息苦しい状態になる事は吃音者の方なら誰もが経験しているだろう。
僕が考え出した克服法は「心」の改善と、口、舌、横隔膜といった「体の訓練」(努力)あるのみ!
幼いときからの辛い経験によって身についてしまった「吃音」(癖)は身体的要因だけではなく、ボクシングと同じく、間違った「思い癖」から生じるのだと思う。
体の癖だけを直すのでは「人としての向上」は少ない。本当に克服する為には心身両面からの改善が必要なのだと思う。
僕もまだまだ与えられた課題に挑んでいる最中。だけど今の僕に不安やストレスはあまりない。与えられた課題(苦労)を乗り越えたときの感動を楽しみにしているという感じだ。
もし、不安が沸いてきたら「人の為に」という思いを持って練習あるのみ!その練習こそが不安を和らげてくれる一番の方法。それはボクシングで試合に臨む選手達に言うのとまったく同じ事。
巷には「吃音」で悩む人を狙った法外な料金の教室などもあるが、僕は多くのお金を掛けなくても「心」を改善し、ある程度の発声練習等を積めば十分に克服できるのではないかと思っている。
僕が吃音(課題)を完全に乗り越えれば、同じ課題で悩んでいる人達に一つの事例を見せ、希望を与える事ができる。
「「吃音」というモノにも「正負の法則」が生きている。辛さというマイナスから生じる「鋭い感受性」「努力」「忍耐力」・・そして同じようなハンデを持った人への理解。といった人としてのプラス。
いつか講演会を開いて吃音に悩む人達へ向けた僕自身の克服法を話せるように、日々精進だ~っ!  マサ
PS 僕の「吃音」について今までに書いてきたブログブログ2、も是非ご覧ください。悩みや辛い試練があるのは自分一人だけじゃありません。人は皆、乗り越える為の課題や試練を与えられて生まれてきているのだと思います。「人として向上する事」。それが人生の本当の意味なのだと思います。