決断。

何かの決断に迫られたとき、「人の為に」、自身の「向上」という思いを忘れずに必死に考える。たくさん人にも相談するし、流れや導きも懸命に感じ取る努力をする。
うまく流れや「導き」を感じ取れなくても、決断のときは迫る・・
そんなときは現状や将来を見据えて、フラットな状態で極力「私心」を挟まぬ決断をするようにと心掛けている。
今まで何度も「導き」や「流れ」を感じてきた経験がある。門司ジムの場所決めや下関ジムの場所や開業時期決め。結婚式場決めなどの多くは、その導きに素直に従ってうまくいった例。
だけど、選手や会員らとの間の問題や、私生活での問題について、うまく導きを得られないときもある。
それでも決断のときは迫る。そして自分の中で今の最善だと思える決断をする。ここ数年の間に僕が下してきた決断に間違いは無いように思っている。
それでも、悩みに悩んだ末に出した答えで、それが絶対に正しいと言い切れない事もある。
何ヶ月か、何年か、何十年か経ったときに、その「答え」が分かる事もあるだろう。
二十歳のとき、己の思い一つで旅立った東京。その東京での2年間(現役時代)は孤独で心がすさんだ非常に苦しい時期だった。
だけど、そこで感じた「結果主義」の虚しさや自分自身の未熟さから「心」や「信頼関係」の大切さを学んだ。
人は失敗や間違いといった経験に伴う苦難なくして、人としての大きな向上ができないように思う。
その為に、あえて「導き」が無い事も、ある意味「導き(愛)」なのだと思う。
正解も間違いも経験してみなければ、本当の答えは分からない。
心的に言えば、正解からも間違いからも失うモノは何も無い。ただその経験から生じる答えを得るだけで、そんな経験が多ければ多いほど「人間力」ってやつは付いていくように思う。
        「苦難なくして向上なし」  そう思えば決断する勇気が沸いてくる。     マサ