物質と心。

選手は選手としての頂点を目指し、僕はボクシングトレーナー、そして指導者としての頂点を目指している。
チャンピオンや名トレーナーという肩書きが欲しくない訳ではない。努力した証は欲しい。
だけどその為だけに頑張るのと、他の意味も持って頑張るのでは踏ん張り方が違う。
現役時代、僕は世界チャンピオンという肩書きだけを求めた。心を向上させ高める事に意識はなかった。
自分の素質、向上心や強さへのどん欲さには人に負けない自信があった。しかし大きな失敗をして選手生命を断たれた。
それが僕が生まれてきてからの一番大きな学びだ。この学びで得た事を指導者として生かしていかなければいけないという使命を感じる。
心だけでは勝てない。それに伴った体も技術もいる。心を高める為には目標もいる。それは仏門にでも入らない限りは物質的なモノがほとんどであろうと思う。
選手でない会員に難しいボクシング技術を指導してどんな意味があるだろうか。難しい事に挑戦し、向上心を持ち続け、課題をクリアしていく中での達成感や喜びを感じる事が一番の価値ではないかと思う。
キツくて、怖くて、危険で、お金にもなりにくいボクシングというモノがずっと存在し続けている事にも何かしらの意味がある。今の僕にはそれが分かる。
高橋イズムのサブタイトルに「ボクシングは人生の縮図だ!」と付けた事に間違いはなかったと思う。 マサ