未熟極まりなし。

昨日は4年前に家を捨てて出て行った親父(58)の胃がんの手術だった。数週間前に父方のばあちゃんから連絡があり、その事を知らされた。
母は父を許していない。僕もギャンブル、酒、タバコに溺れ、挙句の果てに多くの借金を作って出て行った親父に好意は持てない。僕の一番身近な反面教師として見ているし、胃がんも自業自得だと思っている。
それでも親父の身になって考えたとき、こんな状態の中で妻や子供が来ないというのは辛いだろうと思い、甘やかす事なく僕にできる最低限の事はしていこう決めた。だから全責任を負う身元引受人は断った。それを長男の叔父が引き受けた。
4年ぶりに対面した親父は数週間飯が食えず、ひどく痩せていた。表情は穏やかながらも緊張感を漂わせていた。あまり話す事がなく、一言二言だけ交わした。
親父には祖母(ばあちゃん)と二人の兄(叔父)と二人の妹(叔母)がいる。ばあちゃんと妹二人に加え、僕ら姉弟も手術に立ち合う。
親父の家系には医療系の仕事に就く者が多い。その為に手術に関する知識を親父はいろいろと知らされる事になる。そこに医者を信じるのか、身内を信じるのかで手術内容の承諾に迷いが出ていた。
手術のギリギリまで親父は迷っていた。僕にも分からない。だから「自分の人生、悔いのないように自分の信じる道を選んだらいい」と言った。
その末、親父はある手術内容を拒否した。手術室に入る間際、僕の顔をチラリと見て「じゃあな」と親父。僕も「おう」と応える。
手術は予定より二時間遅れて始まった。四時間が過ぎた頃に長男の叔父が出張先から駆け付けた。そして緊迫して待ち続けた手術は予定より二時間オーバーしたが無事に終わった。
執刀医の説明を皆で聞き、親父が拒否した内容は本当はやるべきだっと強く指摘を受けた。
待ち合い所で叔父が叔母達を叱る声を後ろで聞いていた。頭をハンマーで殴られた気がした。僕は本当に病気で身も心も弱まった親父の身になって考えていたのだろうかと。
集中治療室に皆で入り、麻酔の醒めた親父に面会する。親父は少し涙を流しながら「かあちゃん、にいちゃん、正行・・」と皆の名前を呼ぶ。
その後、叔父が僕に「家族の絆」や「性(さが)」「大局」など幾つかの話しをしてくれた。また頭をハンマーで殴られた気がした。
僕は母が同じ立場になっていたら全力を尽くす。しかし親父には・・という思いがある。だから身元引受人にもならなかったし、医者や叔父や叔母達にお礼を言わなかった。だけど心にはずっと何かが引っ掛かっていた。
僕は「人の為に」と常々言っているし、そうできるように努めてもいる。人は身内には他人以上に厳しい部分がある。特に親、兄弟、子供には。それは甘えや依存なのかもしれない。感情を抑え、理性で考えるという事が出来ていなかった事を叔父の行動や言動を聞いていて気づかされた。叔父には弟や皆に対する厳しくも優しい愛と哲学があった。親父と叔母達にはあまり伝っていないようだが僕には強く感じられた。
病院に来てからの叔父の一挙一動は完璧だった。僕もこんな行動の取れる人間になりたいと心底思った。
病院を出て、家に車を走らせながら感情が堰を切ったかのように一人で泣きまくった。この涙は安堵の涙なのか、自分のあまりの未熟さに情けなくて出てくる涙なのかはよく分からないが、ひとつ僕の中で変わった事がある。
たった一人の親父。これからは親父も大切にしていこうと。     マサ