正しき姿。

今、ジム内で幾つかの問題が起きている。その中には深刻な問題もある。
彼らは今苦しいはずだ。その思いが行動や言動となり、僕らに向けられる。
僕は数週間前に腰を痛めた。とても痛く、ジムでの指導に支障が出ると思い、気功や病院に何度も行った。おかげで少しは動く事ができた。
しかし今だ完治はしていない。本当に治癒するにはそれなりの時間が掛かるのだと中島整骨院の先生が言った。
怪我や病気になるにはなる理由がある。怪我や病気が治らない事にも治らない理由があり、治るにも治る理由があるのだと思っている。
「怪我や病気を治すのは結局は自分の治癒力。施術は手助け。」とも先生は言う。
僕は人の怪我や病気はそこから何かを学ぶ為にあるのだと思う。人は痛みも苦しさも感じるからこそ反省し、これまでは当たり前にあったモノや健康にも感謝できる。また腰を痛めてミットが持てない分、選手志望の子らや会員らと話す時間が増えた。これも一つの導きではないかと感じている。
多くの選手や会員を指導する中、一人一人に掛けられる時間は限られる。会員をスタッフと分担して指導する事もある。だからこそ僕がミットを持つときや話しをするときには「強く思いを込める」。逆にどんなに時間を掛けて指導をしても思いの込もっていない形だけの指導では本当の意味で相手に届かない。
指導の究極は愛だと思う。厳しさも優しさの中にも本当にその人の事を思う愛があればそれでいいのだと思う。
正しい指導をするには自分自身を常に高める必要がある。人は皆未熟。だからと言って動かなくて勉強だけすればいいという訳ではない。自分の「今できる事」をしていく中で学び、本当の指導者に近づいていくのだと思う。
「自分の為に」が先か「人の為に」が先か? 親なら何より子供の為に、指導者なら指導する者の為に、強い思いを込める事が正しき姿なのだろうと思う。人の幸せが自分の幸せだと感じられるように。僕もまだまだ。だけど正しき方向は見えている。        マサ