打算。

高橋イズム

最近気になる事がある。それは打算的な人について。
誰にでも損得を考えた打算的な考えや行動はあるのかもしれない。だけど度が過ぎるのはどうかと思う。
打算的に人と付き合う事が多い人には打算的に近づいてくる人が多くいるだろう。これは「類は友を呼ぶ」という事だ。
僕は人を役職や肩書で判断しないように心掛けている。年下であってもしっかりとした人間はいる。年上でもくだらない人間はいる。ジム内では大きく向上していく人もいる。
嫌な人間とは関わらず、良い人間とばかり付き合う事は自分の向上の為にはあまりよくない事は分かっている。嫌な人間からも反面教師として多くの事を学ぶから。
打算的な人が目に付くとき、自分の周りにいるとき、僕にもそんな打算的な考えや行動がないのかを戒められている気がしている。
打算的とは物質欲や自我欲であると考える。エゴを満たして気持ちよくさせてくれるという相手もそうだ。物質やお金だけで繋がった関係などそれが無くなれば簡単に壊れてしまう。そして本当の信頼関係や愛情、幸せを手にする事はできないと思っている。       
よく世界チャンピオンの周りには多くの人が集まるという。王座を失ってからも残る人達が本当に信頼できる人なのだと何かで読んだ事がある。これも、いかに打算的で利己的な人間が多いのかを表しているのだと思う。
打算的で利己的な人に心を許してはいけない。曇らぬ眼でしっかりとその人を見極める力が必要だ。   マサ

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