洞察力。

下関会員Fさんに「どうすれば洞察力が高まりますか?」と聞かれた。
以前からこの「高橋イズム」の中で、昔から洞察力には自信がある事を書いている。
小学生の頃、国語の授業の中で作者の言いたい事を読み取り発表する事が度々あった。先生は僕の発表を一番楽しみにしていてくれたようだ。「高橋は正解以上の答えを言う。」といつもニコニコ笑っていた。認めてくれた先生のおかげか、その後も僕はずっと国語が大好きだった。
なぜ僕に鋭い感性や洞察力が身に付いたのか? 正直、持って生まれた部分が大きいとは思う。だけど、それでは「ボクシングは才能がすべてだ!」と言っているのと同じようなモノだ。
きっと後天的に身に付ける方法は多くあるはずだ。昔の人は「若いうちの苦労は買ってでもしろ!」と言う。僕もそう思う。
松本人志が作詞した「チキンライス」。彼の詩の中には貧乏が故に高まった感性や優しさ、反骨精神が垣間見える。持って生まれたモノと後天的な環境と努力。だからこそ日本一のお笑い芸人になれているのだと思う。
僕の家も彼ほどではないが貧乏だった。親への気遣いや悔しさ、人に言えないみじめな思いも恥ずかしい思いもずっとしてきた。だから強さを求めた。そして、その延長線上にボクシングがあった。
「洞察力」とは言わば向上心や反骨精神なくして高まるモノではないと思う。それでは向上心や反骨精神はどうすれば高まるのか?
恵まれない事だと思う。お金、環境、は厳しければ厳しいだけいい。様々なコンプレックスや恋愛や失敗も感性や反骨精神を強める。
ぼんやり平和に生きていては「洞察力」は身に付かない。だけど今、洞察力を身に付けたい!と切に願えば、それが「餓え」となり、その餓えは強い向上心を生み、鋭い洞察力を身に付ける事になるのかもしれない。
何かを強く強く求める事が「洞察力」を高める一番の方法だと思う。技術的な洞察の仕方もあるがそれはまた書いてみようと思う。
選手らへのボクシング指導を一時封印したのも、危機感を持たせ、自分自身で「強くなりたい!」と切に思わせる為だとも言える。
また物質的な貧しさ、コンプレックス、不運、失敗、厳しさ、辛さ、などは多くを失っているように見えるけど、実は多くのモノを得ている事に気づく。
ぼんやりと平和そうに生きている同級生達を見ていつも思っていた。「俺はこいつらとは違う!絶対負けん!」って。
だけど今、人は関係なく自分自身の中での戦いだという事に気づいた。それでも、いつも餓えているし、いつも欲している。「得れば失い、失えば得る。」この言葉がいつも僕の心を救ってくれる。     マサ