執着心。

僕が24のとき、プロボクシングのリングで事故に遭い選手生命を絶たれた。東京での無理な減量で体を壊した後の復帰第一戦目だった。
手術後、頭を包帯でグルグル巻きの僕が意識を取り戻し、ベッドの上で病院の先生に真っ先に聞いたのは「まだボクシングできますか?」だったと後で家族に聞いた。
それから半年後には「絶対パンチ貰いませんから大丈夫ですよ」と言ってジムで後輩ボクサーを相手にスパーリングしていた。今考えたらぞっとする。(笑)
3年後、ジムを開いてからは選手や会員を相手によくスパーリングをしていた。まだまだボクシングへの熱は冷めていなかった。
はじめの頃は選手の試合でも自分がしているつもりになって一緒に戦っていた。僕のボクシングを体現できない選手に苛立ちもあった。
だけど、いつからかその思いは次第に無くなり、今ではスパーリングもマスボクシングもほとんどしなくなった。それはボクサーとしての挑戦から指導者としての挑戦に完全に心が切り替わっているからだと思う。
今、僕と同じボクシングを選手らに求めはしない。各々の特徴や気質に合ったボクシングを見つけだす事に楽しみを感じている。
今の僕は数年前よりもっと幸せだ。それはボクサーとしての執着心を捨てられたからだと思う。今、ボクシングの追及や指導に全力で臨めている。
昔の栄光や、恋人、失ったモノなどに執着していては新しい第一歩が踏み出せない。踏み出せたとしても全精力を注げない。そんな状態では本当の成功や幸せは掴めないのだと思う。
後悔する事はある。その思いも無駄ではないと知った。悔やむ事はただの反省ではなく、成功していた事と失敗した事を比べているところが反省とは違うのだという。「もし、ああしていたら・・」と大きな後悔が人を大きく成長させるのだと。
「閉ざされた道に執着せず、それ以上にもっと素晴らしい道があるのだと、前向きに生きていく事が人生を幸せに生きる方法なのだ」と、経験者の高橋正行(僕)は語る。(笑)            マサ