才能。

「どんな才能があっても磨かなければ埋もれるだけなんやぞ」と今日、選手を目指す子に話した。
小学生のとき、素晴らしい運動神経の子、素晴らしく頭の切れる子、と「才能」溢れる子が僕の周りにも数人いた。
それでも中学に上がると、大人になると、その姿がどんどん埋もれていった子を多く見た。子供時代は「神童」と呼ばれ、今は「ただの人」ってパターンは僕が見てきた他にも数多くあるだろうと思う。
どんなに「才能」があろうとも「努力」や「情熱」がなければ、その「才能」は開花しない事を幼い頃から感じてきた。
だから僕は自分の「才能」に胡坐をかかず、いつも「努力」を惜しまずに「情熱」を燃やし続けてきた。だからこそ今、自分の好きな事を仕事として生きていけるのだと思う。
未熟故に何度か大きな失敗もあったが、それでも情熱は冷めなかった。今はボクシングだけではなく、「向上」していく人生自体に情熱を燃やしている。
「才能」を英語では「タレント」または「ギフト」というらしい。
「ギフト」=「贈り物」 神様からの贈り物。
「才能」はきっと自分だけの為ではなく、「人の為に」あるのだと思う。それは僕の多くの失敗からも学んできた事だ。
鋭い刃物は正しく使えば「人の為に」なり、間違った使い方をすれば、人を傷つけ、自分も傷つける事になる。使わなければ無用の長物。「才能」もこれとよく似ていると思う。
自分の才能を早くに見つけ、それを「世の為、人の為に」生かす道を進む事が人生の成功や幸せに直結するように思うし、神様はきっと、そんな生き方を強く応援してくれる事だろうと思う。
各々の才能を見つけ、それを磨く努力を促し、サポート(指導)していく事が僕の一つの仕事なのだと思っているが、なかなかに伝わりにくい部分もある。皆の心の中にある「楽をしたい気持ち」や「安定」「保身」といったモノが邪魔をするからだ。
自分らしく生きる為に与えられた「才能」を埋もれさせるのは、とても勿体無い事だと思うんだけど・・      マサ