個性。

選手や会員を指導するとき、様々な資質や特徴を生かすようにと気をつけている。それでも、けっして外せないのが「基礎作り」。
初めから「個性」を尊重し、我流を許し、本当のボクシングの奥深さや楽しさに辿り着くまで、いったいどれだけの時間が掛かる事だろう。
僕が言う「基礎」とは多くの経験や研究や先人の知恵によって培った、無駄を極力削ぎ落としたシンプル且つ効率が良く、更に幅広く応用の利く動作の事だ。
今、ジムで集中的に指導しているのが、この「基礎の向上」。この基礎は僕の約20年間の集大成とも言えるモノだ。(ここが終着点ではないが・・)
基礎がしっかりとしていれば、いくらでも応用が利く。迷い思い悩むときにも、基礎に立ち返る事によって飛躍のチャンスが得られる事も多い。
逆に「個性」を尊重し、基礎を軽視し、我流でボクシングを続ければ多くの壁や問題が表れる。向上も徐々にペースダウンし、いつか大きな壁にぶち当たり、突破する手立てを失う事にもなるだろう。また、効率の悪い動作は怪我や故障を誘発し、望んでいる健康や成功を遠ざける事にもなりかねない。
ボクシングに限らず、ジムの選手や若者や子供達には、僕が多くの経験や失敗や勉強から学んだ、人としての「基礎」も伝えていきたいと思っている。
良い事をすれば良い事が。悪い事をすれば悪い事が返ってくるという「因果の法則」。普通に考えれば当たり前の事なんだけど、立派な大人でも、これが案外分かっていない人が多い。
そう言う僕も、これが本当に分かるまでには長い時間が掛かり、多くの間違いから失敗の連続だった。
誠実である事は良い事。人を騙すのは悪い事。人の為に何かを与えるのは良い事。人のモノを盗るのは悪い事。正しき努力をするのは良い事。怠慢する(サボる)事は悪い事。連絡するのは良い事。連絡を怠る事は悪い事。よく考えるのは良い事。あまり考えないのは悪い事。「人の為に」は良い事。自分さえ良ければというのは悪い事。子供を甘やかすのは悪い事。愛情を持って時には厳しく育てる事は良い事。ゴミを道端に捨てるのは悪い事。拾うのは良い事。心を開くのは良い事。閉ざすのは悪い事。約束を守るのは良い事。破るのは悪い事。人に悪意を向けるのは悪い事。善意を向ける事は良い事・・など、子供に聞いても答えが分かる事ばかり。
親の役目として子供にそれを教える事が「しつけ」というのではないかと思う。僕がジュニアスクールの「心の勉強」や選手らに向けて常々言っている事だ。
だけど、そんな僕も、こんな簡単な事をきちんと考えずに、チャンピオンになる事、チャンピオンを育てる事だけを考えてボクシングをしてきてしまった時期がある。
多くの失敗は僕にそれを気づかせる為にあったのだとようやく気づいたのがジムを始めてからの20代後半。
人としての「基礎」を学ばず、知らず、ボクシングという競技の真髄を追い求めてきた。その情熱は誰にもに負けない自信があった。その努力の「因果」は良くも悪くも、確実に僕自身に跳ね返ってきている。
「個性」を重視し、ボクシング的にも人間的にも「基礎」をないがしろにする事は非常に効率の悪い回り道だと思う。
人の話しや本などで学べる人もいれば、何度かの失敗や経験で気づく人もいる。何度も同じ失敗や間違いを繰り返さなければ気づけない人もいれば、何度間違えても失敗しても気づかない人もいるようだ。
人にはそれぞの歩幅があり、人は皆違う。それでも目指すべき方向は皆同じなのだと思う。
未熟である事を「個性」とする事は間違いであり、「個性」とは正しき「基礎」ありきの中でこそ力強く発揮されるモノであるのだと僕は思う。          マサ

おまけ。今日は寒の戻りのせいか?下関ジムは空いていた。こんなときこそ「今できる事」。中学に上がったばかりのトシアキと「心の勉強」をしてみた。もっと向上意欲を持って練習に励めるようにと、じっくり話した。「子育ては自分育て」とも言われる。僕も、もっともっと向上したい。