「今できる事」。

今週の「エチカの鏡」を観た。テーマは「姿勢」。正しい姿勢や正しい歩き方まで、多くのインストラクターによる理論やレッスンの仕方をボクシングに生かせる部分はないかという目で観た。
以前にもウォーキングドクター「デューク更家」を観て思った。世界中の人間が「歩く」それを商売とする。こりゃー儲かるなって(笑)
多くの人、特に女性には「美」に対してお金を惜しまない人が多い。そういったターゲットに絞り込み、うまくやっているな~と思った。
もし、洞察力や研究心に自信のある僕が「姿勢」や「ウォーキング」を追及し、指導すれば、今より儲かるかもしれない。
だけど、僕にそんな気はまったくない。「姿勢」や「ウォーキング」というモノに自分の人生を懸ける程の魅力を感じないからだ。
「姿勢」や「ウォーキング」をバカにしている訳ではない。他の人から見れば僕が「ボクシング」というモノに人生を懸けている事の方が理解し難いのかもしれない。
それでは、なぜボクシングなのか?「縁」あり、「資質」あり、「大好き」という思いがあるからだ。途中からは、その中に「自身の向上」や「人の為に」という確かな思いも加わった事で更に意欲が増した。
「お金」を一番に考えれば、もっと他にも仕事はあったのかもしれない。だけど「お金」は何の為にいるのかを突き詰めれば、それは「幸せになる為」なのだと思う。
それでも、お金で幸せになる訳でもないし、お金で幸せが買える訳でもない。
「好きな仕事で生きられる」それが「人の為に」もなる。こんなに幸せな事ってないのかもしれない。人が強い幸せを感じるのは「人に求められる事」ではないかとも思う。
人は自分の好きな事をする為や家族の為に仕事をしてお金を稼ぐ。だけど僕はその仕事(ボクシング指導)自体が好きだ。だったら、もうそれでいいじゃなかって話し。(現状維持をするつもりはないけど・・)
僕は輪廻転生を信じている。だから今回与えられた「縁」や「資質」を充分に生かし、学び、人としてどこまで向上できるのかに「挑戦」し続けていくつもりだ。
人それぞれ生まれ持った課題は違う。金持ちの家に生まれてくる者もいればその逆も。運動神経も頭のデキも。容姿も性格も、才能も器もみんな違う。だから人を羨む事も妬む事も本当に無意味な事なのだと僕は理解している。 
ボクシング指導の中でも常々言う言葉。 「今できる事」 ここに尽きる。            マサ