挨拶。

ジム会員規約の最後の行には「当ジムでは、楽しく正しい環境を保つ為、大きな声での挨拶を徹底しています。それが守られない方は入会をお断りします。」と書かれている。
これは「青少年の育成」を掲げる意味以外に、当ジムにそぐわない者は入会させないという意味も含まれている。
最近、門司ジムの選手系の子らの練習中の挨拶が少ない事が気になっていた。確かにミットやスパーの最中で、練習に来た会員や練習を終えて帰る会員に挨拶する事が出来ないときもある。
しかも、ジムにはストレス発散やレクレーションとして来ている会員も多いと思うので、あまりに「体育会系」のノリを作るのもどうかと思っていた。
しかし、ここ数日で同じような指摘が二回程あった事もあり、これも導きと捉え、「挨拶」についてもう一度、若い子や選手らに話しをしておこうと思った。
「挨拶をしろ!」という強制的な言い方だけではいけない。「挨拶」の意味を教える事が大切で、それがジムの外でも「挨拶のできる人間」を育てる事になるのだと思う。
昨日は夜遅くまで残っていた若貴に、「挨拶ってなんで必要と思う?」と問う。更に「挨拶できる人とできない人、どっちが人としての波長が高い?どっちが人生うまくいく?」と問う。答えは簡単。
更に「挨拶のできる人間とできない人間、どっちが強くなると思う?」と問う。この答えも簡単。
人は一人で生きている訳じゃない。ボクシングも自分の事だけ考えてうまくいくモノじゃない。周りがしっかりと見えた広い視野を持つ事が必要だ。
セコンドの声も相手のわずかな変化も自分のリングに立たされている位置も、レフリーの位置さえも把握しておく必要がある。支えてくれた人達への感謝の気持ちも忘れてはいけない。
たまに僕がレフリーでリングに入るときに、僕の方に向かって来て、ぶつかってしまう者もいるが、「相手しか見えずに周りがまだ見えてないんやな~」と思う。
だから「練習中でも周りに気を配って、しっかりと挨拶をしていこう。それがボクシングや今後の人生にも役立つんやから」と話しを終えた。
「情けは人の為ならず」という言葉があるが、「挨拶も人の為ならず」だ。自分自身の為にも、人の為にも、「挨拶」は非常に大切な事なのだと教える事が必要なのだと思う。
人は本当に納得しなければ心からその行動はとれない。指導する側にも、その「言葉」を信頼される高い波長が必要であり、故に日頃の行いが問われるところだ。日々精進。       マサ