感性。2

「どうすれば感性が磨かれるのか?」の続き・・
感性の鋭さにはDNA(遺伝)の関係や生まれ育ってきた環境の影響という事もあるかもしれない。だからといって諦めたらそれまで。
それでは「どうすれば感性が磨かれるのか?」
僕はボクシング指導の中で「かっこいいボクシングをしよう」と皆に言う。ボクシングの技術がよく分からなくても大抵の人は比べて見せればどちらが「かっこいい」か「かっこ悪い」かの区別はできる。
それは人には自然と「機能美」を見分ける「感性」が備わっているからなのだと思う。正直、この「感性」が極端に乏しい人にはボクシングも他のスポーツもきっと難しいはずだ。
だから、僕はジムに多くの鏡を置き、自分自身の姿をよく見てもらう指導法を実践している。その中で「かっこいい」と思えるボクシングフォームを作っていく事が冷静に自分を見る事にもなり、他の人との違いを知る事にもなり、確かな向上へと繋がる。
これも一つの「感性磨き」と言えるのではないかと思う。
また、「勘」という言葉も「感性」と通じる。「勘」も直感的なモノであると思うが、これも訓練や経験によって高める事ができる。
簡単に言えば「ディフェンス勘」は相手の体の動きや心の動き(気配)を感じる事が重要だ。決して反射神経が良ければいいというだけのモノではない。先を「読む」という行為は多くの経験から生まれる能力だと思う。
「機能美」と「防御勘」という二つの話を例に挙げたが、生まれつき「感性」の鋭い者もいるけど、後天的に「感性を磨く」事はできるのだと思う。
そのキーワードは「探究心」と「経験」と言えるのではないか。僕は常にボクシングの、物事の、人生の本質を探り続けて生きている。その為には多くの経験が必要だ。
失敗も成功も、後悔も未練も、楽しい思いも悲しい思いも、恋愛も失恋も、生きていくすべての出来事の中で「気づきたい」という思いを持って日々努める事で「感性」は磨かれていくのかもしれない。
毎日毎日、時計を見る度に「ぞろ目」や「続き番号」を異常な程によく見る。日常生活の中でも、ジム経営の中でも、いつも「導き」や「流れ(風)」を感じている。
昔から「感性」や「勘」に自信はあったが、現在のような確かな「導き」や「流れ(風)」を感じられるようになったのは、ここ4、5年だろう。
昔と何が変わった?経験?探究心?一番変わったのは「自分本位」な考えをできるだけ抑え、「人の為に」という思いを持つようになった事。
多くの真善美に触れ、探究心を持って様々な経験をしていく事に加えて、「人の為に」という思いが更に「感性」を研ぎ澄ませていくのではないかと思っている。         マサ
PS 今日はアメトーークの「グラップラー刃牙」芸人を観て「感性」高めておきました。(笑)