生まれてきた意味。

ジムで指導していると選手や会員らの悩みや問題を多く聞く事になる。それらの悩みや問題の相談に乗るときは「本質」を見る事を忘れないように気をつけている。
お金、出世、勝利、安定、学歴、名誉、健康、などを多くの人が欲するだろう。僕だってそれらが欲しくない訳じゃない。
それでも僕の人生で一番大切な事は何かと考える。
大金持ちになっても、出世しても、チャンピオンになっても、人として心が貧しく、嫌な人間が本当に幸せと言えるだろうか。本当の成功者と呼べるだろうか。
スタイル抜群、容姿端麗、お金持ち、安定した仕事、家柄、といった事を基準にした結婚が本当の幸せに辿り着くのだろうか。
大きな家に住んだ。いい車に乗っている。高い地位に就いている。それらからのすべてが本当の幸せと言えるだろうか。
それらを目指す中での「努力」や「苦労」「達成感」といった事も学ぶし、正しき道としての「成功者」もいるので、それらすべてを否定する訳ではないが、それらの中に「自分本位」という心が含まれている場合は間違った考えだと僕は思う。
大切にしたいのは「幸福感」。正しき道を行けばこの「幸福感」を強く味わう事になるだろう。
人には人それぞれに与えられた「宿命(課題)」があり、それらから人としての何かを学ぶ為に生まれてきているのだと思う。
自分の体も才能もコンプレックスも家柄も国も時代も出会いも、すべてが「宿命」だと言える。それらから考えると自分の人生で成すべき事がおのずと浮かんでくる。
今、僕が門司と下関でボクシングジムを経営し、指導者としての道を邁進し、結婚という修行に入る事もすべては「宿命」というモノを踏まえて自分自身を人として「向上」させる為であると言える。
そこに僕の信念である「人の為に」「自分次第」「今できる事」という考えが生まれた。
僕から言えばみんな特別な人間だ。同じ人間はいなし、まったく同じ「宿命(課題)」を持った人もいない。
だから自分自身に与えられた「宿命」から存分に学び、人として「向上」する事が何より大切な事であり、それが生まれてきた意味なのだと思う。
人と比べる必要はない。ただ「今できる事」を邁進するのみだ。     マサ