危機感と不安の違い。

昨夜はジムが終わってアクセルとチェンジに「不安と危機感」の違いを話しながら飯を食いに行きました。

不安と危機感は似て非なるモノで、その性質がまったく違うという話です。

不安を持つとは・・その不安を解消する為にどうすればいいのかが分からない状態で、その不安は負の連鎖を呼んでどんどん大きくなります。不安を糧に努力をして不安な気持ちを解消する事もできますが、基本的に不安な思いがスタートになっていると、終始ネガティブな闘いになります。

危機感を持つとは・・勝利や成功を見据えた上で、足りない部分や課題を克服し、想定できる危機を回避する為の前向きな闘い方です。

選手育成、従業員への指導、子供の教育、または自分の将来に対しても「不安」ではなく「危機感」を持って臨む事が大切だと思います。

指導者や経営者は下の者にいたずらに「不安」を抱かせず、常に夢や目標や人生の指針を語りながら、そこに向かう為に必要な「危機感」を持たせる事が必要だと思います。

プロボクサーという何の保証も安定もない仕事。それを選んだ関門JAPANのプロボクサー達に僕は、目先の勝ち負けだけに振り回されないように大局を見て、自身のボクサーとして、そして人としての成長を求め続けるように話します。

この世に生まれてくる意味は、少しでも「強く優しい人間になる事」だと思っています。スピリチュアル的に言うと「魂を磨く為」だとも言えます。

僕のこれまでの人生や勉強してきた事からも、チャンピオンになる事や成功する事が人生の意味ではないと断言します。

「勝つ事」や「成功する事」を第一と考えるボクサーやトレーナーも多い事だと思います。

僕も「勝つ事」や「成功する事」を強く求めてはいますが、それは「人の為」であったり、「世の中の為」であったり、自身の成長の為であったりと前者とは動機が違います。

きっと正しい動機がなくてもチャンピオンや成功を本気で目指し、強い情熱と弛まぬ努力を続ければ道中に様々な試練があり、人としての成長もありながら、目標を達成出来る事だと思います。

しかし、チャンピオンになったから、チャンピオンを育てたからといって一生安泰、ずっと幸せなんて事はありません。

そこに僕は選手らを預かる会長として「不安」ではなく「危機感」を持っています。

だから僕が選手達に目指して欲しいのは正しい動機を持った真のチャンピオンです。仮にチャンピオンに手が届かなかったとしても、正しく険しい道を歩いて鍛えられたその心はその後の人生にも必ず生きます。

どんな時代になろうとも、どんな境遇に遭っても、「強く優しい人間」ならば、人生の大海原を悠々と渡って行けるはずです。

未来は今の延長線上。今、生き甲斐のある正しい生き方をしていれば未来もきっとそうなります。

どんな事も恐れない心を持つ事こそが、本当の「安心」と言えるのではないでしょうか。

選手らにそう信じてもらえる人間に成っていく事も、僕の一つの責務だと思っています。 

                               会長